グーグル先生に「自分の価値」とは?って質問したら
以下の記事を投げてよこす優しいグーグル先生
「
自分の価値とは何かという悩みに終止符!自分の価値の捉え方」
で、読んだんですが、私は「終止符」までは打てませんでした。ひとつ、引っかかりがあったので。
それについては後述しますが、ひとまず、おおむね飲み込めました。良記事だと思います。特に、
>みんながみんな、それぞれの人生をそれぞれのやり方で楽しむ生命体というだけの話です。
>人によっては、仕事を頑張る人もいる、誰かの役に立つことで嬉しさを感じる人がいる、
>お金を稼いでお金で色々な経験をして楽しむ人がいる。
>ただ、それだけの話で自分の価値という話は出てこない。
>もっと言うと、仕事や誰かの役に立つことやお金を稼ぐことはただの楽しみだということです。
>一言で言うと「趣味」です。
>どんなことをしてもしなくても、自分の価値が影響を受けることはない、
>全くの別物、全く関係ないものという感覚です。
―…という着地の仕方。
正しいかどうかは知りませんが、「それいいですね」と思います。
でもね。だいぶ少数派なんじゃないかなって思います。そういう感覚のヒト。
この国の、(外国は暮らしたことないので不明ですが)圧倒的大多数は「お金」「仕事が出来るかどうか」で人を値踏みしますし、バイトやパートは軽んじて見られますし、「性別」「主婦」「独身」「子がいるかいないか」他人にあらゆるレッテルをベタベタ貼りたくって少しでも自分が安心したいヒトが大多数に見えます。不安なヒトばかりに見えます。あくまで私個人の観測範囲の話ですが。
「仕事も、誰かの役に立つということも、ただの楽しみであり、
どんなことをしてもしなくても、自分の価値が影響を受けることはない」
我が道の前に立ちふさがるものなど何もない
と、どんなに「自分」が信じていても、
圧倒的多数の「他者」がそう思ってないのであれば、孤独です。
「世界」は、自分以外のものがあって初めて成立するもので、
「お金」は、やはり得なければ生きられないわけで、そのための「仕事」をする以上、他者と関わらないとならない。そうした過程の中で、あらゆる声が響いてくるわけです。自分を値踏みする声が。
否定しても、疲れると。でも、思ってもいないのに肯定するのは、もっと疲れる。
他者を変えるより、自分を変えるほうが楽である、というのは確かだと思っているので、こうなったらまあ沈黙しかないですね。なんだかうるさい輩は黙って放置プレイしながら自分の楽しいなと思えるようなこと、癒しだなと思えるようなことを少しでも増やしていければいいんじゃないでしょうか。
でもなんとなく書き記しておきたかったので、書いておきます。
みんな不安なんでしょうね。。。(だからって自分までお前に合わせてやるとは言ってない)みたいな(どうしても性格悪い人みたくなっちゃう)謎
自分と、自分に良くしてくれる人々が(自己中)、
ちょっとずつでも、いい日だったなって思える日が、増えますように。